どうも、ナタデココです。
今回は、勉強のできる子とできない子の違いを紹介していきます。
ツイッターより、
勉強がわりとできる子の反応
生徒「これがわかりません」
私「んー?最初は何をする?」
生徒「分配法則でカッコを外します」
私「いいんじゃない?それから?」
生徒「そうするとこうなりますよね。でもここで行き詰って」
私「これ、因数分解できるんじゃない?」
生徒「あっ、本当ですね」— 篠田くらげ (@samayoikurage) 2019年7月18日
勉強が苦手な子の反応
生徒「これがわかりません」
私「最初に何をするの?」
生徒「3」
私「何をしたのか日本語で説明することはできる?」
生徒「普通に計算して……」
私「普通って何?」
生徒「3じゃないんですか」
私「ちがうな」
生徒「あっ、5ですか?」
私「まず最初にすることは?」— 篠田くらげ (@samayoikurage) 2019年7月18日
勉強がわりとできる子の反応
私「源三郎はなぜ弟に会わなかったの?」
生徒「ええと、会うのが悲しかったから」
私「そうね。でも普通、会わない方が悲しくない?源三郎は弟に会わないのは悲しくないの?」
生徒「悲しいですけど、でも会うのはもっとその、悲しい」
私「どこに書いてある?」— 篠田くらげ (@samayoikurage) 2019年7月18日
勉強が苦手な子の反応
私「源三郎はなぜ弟に会わなかったの?」
生徒「『源三郎の背中を冷たい三日月が照らしていた』」
私「それは会わなかった理由になる?」
生徒「あっ、『源三郎は、妻を見て悲しそうに微笑んだ』」
私「弟に会わなかった理由が妻を見て微笑んだことだ、ということ?」
生徒「…」— 篠田くらげ (@samayoikurage) 2019年7月18日
ネットでの反応
・言語化する、て大切。 そして言語化させる教育はだから大切。 日本の学校教育は、この「思考の過程を言語化させる練習」を重視してないと思う。 教師が提示する結論をただ覚えさせようとする。
・「理由が説明出来なきゃ、理解したとはいえないよ」 中学生の時に数学の先生に言われた言葉ですが、今でも覚えています
・社会では過程より結果が求められがちだからなあ 学問では結果より過程が求められることをまず周知させないと
・突然失礼します。 過去に個別指導塾でアルバイトしていたので、かなりこの内容は共感しました。 何かとすぐに答えを求めがちになっていってるように思います。ちゃんと出来る人は思考過程がしっかりしてるように思います。
・勉強できない人は、現実社会でも、考える事を他人に任せる傾向があります。誰かが考えてくれて出た結果を、教えてもらう能力に長けています。
・勉強できない子、だいたい間違えた自学習を重ねた結果、すぐ答えを見る癖ができてるので、 講師から答えを引き出すためだけのやり取りに全力を尽くしがちなんですよね。 親との自学習のやりとりで、ノルマとされたワークのページ数に答えと◯×がついてさえいればいい、 という癖がついちゃってる。
・勉強できない子の反応 そもそも理解出来ないので 取り敢えず分かったフリをする。 (怒られるのが分かってるので) 教える側は“理解したな”と 騙される テストで撃沈 結局怒られる これの無限ループ
・同じクラスの不良君に勉強を教えていたら突然、 「なあ、この空の向こうには何があるんだ…?(本気で宇宙を知らない)」と全く予想していなかったことを言われて、宇宙と星の成り立ちから説明したことを思い出しました。
・どこかの経済学者に講義で、 日本の義務教育は世界と比べて疑問視する問題が非常に少なく、答えのない出ない問題を解かせることをやってこなかった と言っていたので、勉強が苦手になるのが普通なのだと思います。苦手じゃない子は自主的に勉強できる環境や興味があって差がついただけ
確かに、言語化するのはとても大事だと改めて感じました。